...

エイダ・ラブレス

エイダ・ラブレス

エイダ・ラブレスは1815年にイギリスで生まれました。数学者であり、作家でもある彼女は、同僚のチャールズ・バベッジが創案した計算機を計算だけではなく、何か別の事にも応用できるのではないかと考えた最初の人物です。

 

エイダは12歳の時に空を飛びたいと思い、それにはまず翼が必要だと考えました。そこで鳥を解剖して、どんなものが翼として使えるか考えました。そしてエイダは“フライオロジー”という本を書くことにしました。

 

エイダは1833年6月、発明者であるチャールズ・バベッジと出会いました。そして、1842~1843年にかけて、イタリアの数学者でありエンジニアでもあるルイジ・ナメブレアが書いた解析機関と呼ばれる機械についての記事を翻訳しました。解析機関とは、現在のパソコンの原形だと考えられている、バベッジが創案した当時の最新機械です。エイダはその記事でバベッジ創案の解析機関で、アルゴリズムを使用したベルヌーイ数の計算方法の詳細について注釈を加えました。これが初めて公表されたアルゴリズムです。このアルゴリズムはコンピューターで使用するために特別に設計されたもので、世界初のコンピュータープログラムです。したがって、エイダは世界初のコンピュータープログラマーということになります。事実、彼女が書いた注釈にはコンピューターとソフトウェアの両方についての記述があります。

 

これはラブレスにとって最初の大きな一歩でした。

 

次のステップでエイダはあるアイデアとして彼女自身が「詩の科学」と呼んでいたものを使いました。この「詩の科学」において、直感と想像力は化学や数学を考えるうえで重要な役割を果たします。そしてエイダはバベッジの解析機関は数(計算)以外のものにも使えると思い至りました。こうして解析機関は単なる計算機ではなくなったのです。例えば音楽や文字にも影響を与える可能性があります。作家、ドロン・スウェイドは次のように述べています。「これは単に計算をする機械から法則に従って記号を操作する機械への基本的な変化なのだ。我々がこの変化の歴史について調べる時、1843年にエイダが翻訳した記事が影響していることは間違いないと知ることになる。」したがって、アルゴリズムやコンピュータープログラムというエイダの第一ステップを使用して、彼女が我々を次のステップへ導き、コンピューターで絵を描いたり作曲したりする方法を示しました。

 

エイダ・ラブレスはラブレス伯爵ウィリアム・キングと結婚し、3人の子をもうけました。

 

エイダは1852年、36歳の時に子宮がんで亡くなり、彼女の希望でイギリスにある、父で詩人のバイロン卿の隣に埋葬されました。

 

このブログでは、大きく3つのパートに分けて様々なことを紹介していきます。

このブログの名前でもあり、1つ目のパートである’Out of the Blue’ではあまり知られていないことや、ちょっと変わった事柄について紹介します。2つ目は’A Good Idea?’というタイトルで、世界中に溢れる「ためになる情報」を様々な事例と共に紹介します。これら2つのパートは実際のレッスンでも使用しています。3つ目は日本と英語についてです。英検についてや第二言語を学ぶ動機など、日本と英語に関する様々なことについて紹介します。

2019年秋からこれらに関連する記事を順番に紹介しますので、是非ご覧ください!